Vanilla/Books/Book1CheapBriefHistoryoftheEmpirev3 の変更点

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*題名 [#name]
**原題 [#name_en]
-Brief History of the Empire, v 3

**訳題 [#name_ja]
-【訳題記述エリア】

*本文 [#text]
**原文 [#text_en]
// 注意:訳文の部分は中括弧({と})が3つづつ。
#pre{{{
<font face=1><br><div align="center">
A Brief History of the Empire<br>
Part Three<br>
by Stronach k'Thojj III<br>
Imperial Historian<br>
<br><div align="left">
<IMG src="Book/fancy_font/t_52x61.dds" width=52 height=61>he first volume of this series told in brief the story of the succession of the first eight Emperors of the Septim Dynasty, from Tiber I to Kintyra II.  The second volume described the War of the Red Diamond and the six Emperors that followed its aftermath, from Uriel III to Cassynder I.  At the end of that volume, it was described how the Emperor Cassynder's half-brother Uriel IV assumed the throne of the Empire of Tamriel.<br>
<br>
It will be recalled that Uriel IV was not a Septim by birth.  His mother, though she reigned as Empress for many years, was a Dark Elf married to a true Septim Emperor, Pelagius III.  Uriel's father was actually Katariah I's consort after Pelagius' death, a Breton nobleman named Gallivere Lariat.  Before taking the throne of Empire, Cassynder I had ruled the kingdom of Wayrest, but poor health had forced him to retire.  Cassynder had no children, so he legally adopted his half-brother Uriel and abdicated the kingdom.  Seven years later, Cassynder inherited the Empire at the death of his mother.  Three years after that, Uriel once again found himself the recipient of Cassynder's inheritance.<br>
<br>
Uriel IV's reign was a long and difficult one.  Despite being a legally adopted member of the Septim Family, and despite the Lariat Family's high position -- indeed, they were distant cousins of the Septims -- few of the Elder Council could be persuaded to accept him fully as a blood descendant of Tiber.  The Council had assumed much responsibility during Katariah I's long reign and Cassynder I's short one, and a strong-willed "alien" monarch like Uriel IV found it impossible to command their unswerving fealty.  Time and again the Council and Emperor were at odds, and time and again the Council won the battles.  Since the days of Pelagius II, the Elder Council had consisted of the wealthiest men and women in the Empire, and the power they wielded was conclusive.<br>
<br>
The Council's last victory over Uriel IV was posthumous.  Andorak, Uriel IV's son, was disinherited by vote of Council, and a cousin more closely related to the original Septim line was proclaimed Cephorus II in 3E247.  For the first nine years of Cephorus II's reign, those loyal to Andorak battled the Imperial forces.  In an act that the Sage Eraintine called "Tiber Septim's heart beating no more," the Council granted Andorak the High Rock kingdom of Shornhelm to end the war, and Andorak's descendants still rule there.<br>
<br>
By and large, Cephorus II had foes that demanded more of his attention than Andorak.  "From out of a cimmerian nightmare," in the words of Eraintine, a man who called himself the Camoran Usurper led an army of Daedra and undead warriors on a rampage through Valenwood, conquering kingdom after kingdom.  Few could resist his onslaughts, and as month turned to bloody month in the year 3E249, even fewer tried.  Cephorus II sent more and more mercenaries into Hammerfell to stop the Usurper's northward march, but they were bribed or slaughtered and raised as undead.<br>
<br>
The story of the Camoran Usurper deserves a book of its own.  (It is recommended that the reader find Palaux Illthre's The Fall of the Usurper for more detail.)  In short, however, the destruction of the forces of the Usurper had little do with the efforts of the Emperor.  The result was a great regional victory and an increase in hostility toward the seemingly inefficacious Empire.<br>
<br>
Uriel V, Cephorus II's son and successor, swivelled opinion back toward the latent power of the Empire.  Turning the attention of Tamriel away from internal strife, Uriel V embarked on a series of invasions beginning almost from the moment he took the throne in 3E268.  Uriel V conquered Roscrea in 271, Cathnoquey in 276, Yneslea in 279, and Esroniet in 284.  In 3E288, he embarked on his most ambitious enterprise, the invasion of the continent kingdom of Akavir.  This ultimately proved a failure, for two years later Uriel V was killed in Akavir on the battlefield of Ionith.  Nevertheless, Uriel V holds a reputation second only to Tiber as one of the two great Warrior Emperors of Tamriel.<br>
<br>
The last four Emperors, beginning with Uriel V's infant son, are described in the fourth and final volume of this series.<br>
}}}

**訳文 [#text_ja]
// 注意:訳文の部分は中括弧({と})が原文部分と異なり4つづつ。
#pre{{{{
<font face=1><br><div align="center">
帝国小史<br>
第3部
<br>
著者:Stronach_k'Thojj3世<br>
宮廷歴史家<br>
<br><div align="left">
<IMG src="Book/fancy_font/t_52x61.dds" width=52 height=61>his_Series,__このシリーズの第1巻に於いて、Tiber1世からKintyra2世まで、最初の8人の皇帝によるSeptim皇朝の継承に関する物語について手短に述べられた。第2巻に於いて、〈赤金剛石の戦〉と、Uriel3世からCassynder1世まで、その戦乱に後続する6人の皇帝について述べられた。その巻の終わりに於いて、如何にしてCassynder帝の異父兄弟であるUriel4世がTamriel帝国の帝位を継承したのかについて述べられた。<br>
<br>
Uriel4世が生まれつきSeptimの一員ではなかったことを思い出して欲しい。彼の母は、長年に亘って女帝として統治していたけれど、真なるSeptimの皇帝であるPelagius3世と結婚した1人のDark_Elfであった。Urielの父は、実際には、Pelagius_の死後に於けるKatariah1世の配偶者である、Gallivere_Lariatという名前のBretonの貴族であった。帝位を継ぐ前にCassynder1世はWayrest王国を統治していたが、虚弱のために引退を余儀なくされた。Cassynderは子供を持っていなかったので、異父兄弟のUrielを法的に養子として当該王国から身を退けた。7年後、母の死に際して、Cassynderは帝国を継承した。それから3年後、Urielは、もう一度、自分がCassynderからの継承を受け取る者であることに気づかされた。<br>
<br>
Uriel4世の治世は長年に亘る困難なるものであった。法的には養子としてSeptim家の一員であるにも関わらず、Lariat家が高い身分――実のところ、Septim家の縁戚であった――であるにも関わらず、Elder_Councilの殆どの者たちは、Tiberの血筋を受け継ぐ子孫として彼を充分に受け入れるようには説得されなかった。Katariah1世の長い治世とCassynder1世の短い治世を通じて議会は多大の責務を引き受けてきたのであり、Uriel4世のような意志堅固の“余所者”の君主によって、その議員たちの揺ぎ無い忠誠を支配することの不可能であることが見出されたのである。繰り返し議会と皇帝は不和に陥ったが、繰り返し議会が戦に勝利を収めることになった。Pelagius2世の頃からElder_Councilは帝国中の大富豪の男女から構成されており、彼らの振るう力は決定的なるものであったのだ。<br>
<br>
Uriel4世に対する議会の最後の勝利は、その彼の死後に得られたものであった。Uriel4世の息子であるAndorakは議会の投票によって継承権を奪われて、そして、Septimの元々の血筋に更に近い1人の従兄弟がCephorus2世として第3時代268年に公式に認められた。Cephorus2世による最初の9年間の治世の間、Andorakに忠義を立てる者たちは帝国軍と交戦した。High_Rock_のShornhelm王国をAndorakに与えるという、賢者Eraintineが「もはやTiber_Septimの心臓は鼓動を刻んでいない」と称する振る舞いによって、議会は戦争を終結させた。そして、現在でも、Andorakの子孫が当地を統治している。<br>
<br>
概して、AndorakよりもCephorus2世の注意を要する仇敵が存在していた。Eraintineの言葉を借りれば「暗黒の悪夢から姿を現して」、〈Camoranの簒奪者〉〔Camoran_Usurper〕と名乗る男がDaedraと不死なる戦士の軍団を率いて、Valenwoodを蹂躙しながら次々と王国を征服していったのである。殆どの者たちは彼の猛攻に耐えられなかったが、その第3時代249年の月が血塗られたものになっていく中で、更に少数になった者たちでさえも抵抗を試みていた。〈簒奪者〉の北進を食い止めるためにCephorus2世は矢継ぎ早にHammerfellへと傭兵を派遣していったが、彼らは買収されるか、虐殺されてアン・デッドとして蘇らされてしまった。<br>
<br>
〈Camoranの簒奪者〉に関する物語は、それ自体、1冊の書物に値するものである。(詳細を知りたい読者には、Palaux_Illthreの手になる『簒奪者の陥落』〔The_Fall_of_the_Usurper〕を得ることを薦めたい。)しかしながら、簡潔に言って、皇帝の努力にも関わらず、〈簒奪者〉の軍団の撃破は殆ど功を奏しなかった。結果は、極めて局地的である勝利と、表面上は無能である帝国に対する反感の増大であった。<br>
<br>
Cephorus2世の息子にして後継者であるUriel5世は、帝国の潜在能力に対する評価を翻させた。国内の不和からTamrielの民衆の注意を逸らすために、第3時代268年に帝位に就いた殆ど直後から、Uriel5世は一連の侵攻に着手した。271年にRoscreaを、276年にCathnoqueyを、279年にYnesleaを、284年にEsronietを、Uriel5世は征服していった。第3時代288年には、彼は極めて野心的なる計画に着手した。Akavir大陸の王国に対する侵攻である。その2年後にAkavirのIonithの戦場に於いてUriel5世が殺害されて、これは完全に失敗であることが分かった。それにも関わらず、Tamriel帝国の偉大なる2人の戦士皇帝の内の1人として、Uriel5世はTiberに次いで名声を集めている。<br>
<br>
Uriel5世の幼い息子から始まる最後の4人の皇帝に関しては、このシリーズの第4番目にして最後の巻に於いて述べられる。<br>
}}}}
// 注意:訳文の部分は中括弧({と})が原文部分と異なり4つづつ。
#pre{{{{
<font face=1><br><div align="center">
帝国小史<br>
第3部
<br>
著者:Stronach_k'Thojj三世<br>
宮廷歴史家<br>
<br><div align="left">
<IMG src="Book/fancy_font/t_52x61.dds" width=52 height=61>his_Series,__このシリーズの第1巻に於いて、Tiber一世からKintyra二世まで、最初の8人の皇帝によるSeptim皇朝の継承に関する物語について手短に述べられた。第2巻に於いて、〈レッド・ダイアモンドの戦い〉〔War_of_the_Red_Diamond〕と、Uriel三世からCassynder一世まで、その戦乱に後続する6人の皇帝について述べられた。その巻の終わりに於いて、如何にしてCassynder帝の異父兄弟であるUriel四世がTamriel帝国の帝位を継承したのかについて述べられた。<br>
<br>
Uriel四世が生まれつきSeptimの一員ではなかったことを思い出して欲しい。彼の母は、長年に亘って女帝として統治していたけれど、真なるSeptimの皇帝であるPelagius三世と結婚した1人のDark_Elfであった。Urielの父は、実際には、Pelagius_の死後に於けるKatariah一世の配偶者である、Gallivere_Lariatという名前のBretonの貴族であった。帝位を継ぐ前にCassynder一世はWayrest王国を統治していたが、虚弱のために引退を余儀なくされた。Cassynderは子供を持っていなかったので、異父兄弟のUrielを法的に養子として当該王国から身を退けた。7年後、母の死に際して、Cassynderは帝国を継承した。それから3年後、Urielは、もう一度、自分がCassynderからの継承を受け取る者であることに気づかされた。<br>
Uriel四世が生まれつきSeptimの一員ではなかったことを思い出して欲しい。彼の母は、長年に亘って女帝として統治していたが、真なるSeptimの皇帝であるPelagius三世と結婚した1人のDark_Elfであった。Urielの父は、実際には、Pelagius_の死後に於けるKatariah一世の配偶者である、Gallivere_Lariatという名前のBretonの貴族であった。帝位を継ぐ前にCassynder一世はWayrest王国を統治していたが、虚弱のために引退を余儀なくされた。Cassynderは子供を持っていなかったので、異父兄弟のUrielを法的に養子として当該王国から身を退けた。7年後、母の死に際して、Cassynderは帝国を継承した。それから3年後、Urielは、もう一度、自分がCassynderからの継承を受け取る者であることに気づかされた。<br>
<br>
Uriel四世の治世は長年に亘る困難なるものであった。法的には養子としてSeptim家の一員であるにも関わらず、Lariat家が高い身分――実のところ、Septim家の縁戚であった――であるにも関わらず、Elder_Councilの殆どの者たちは、Tiberの血筋を受け継ぐ子孫として彼を充分に受け入れるようには説得されなかった。Katariah一世の長い治世とCassynder一世の短い治世を通じて議会は多大の責務を引き受けてきたのであり、Uriel四世のような意志堅固の“余所者”の君主によって、その議員たちの揺ぎ無い忠誠を支配することの不可能であることが見出されたのである。繰り返し議会と皇帝は不和に陥ったが、繰り返し議会が戦いに勝利を収めることになった。Pelagius二世の頃からElder_Councilは帝国中の大富豪の男女から構成されており、彼らの振るう力は決定的なるものであったのだ。<br>
<br>
Uriel四世に対する議会の最後の勝利は、その彼の死後に得られたものであった。Uriel四世の息子であるAndorakは議会の投票によって継承権を奪われて、そして、Septimの元々の血筋に更に近い1人の従兄弟がCephorus二世として第3紀268年に公式に認められた。Cephorus二世による最初の9年間の治世の間、Andorakに忠義を立てる者たちは帝国軍と交戦した。High_Rock_のShornhelm王国をAndorakに与えるという、賢者Eraintineが「もはやTiber_Septimの心臓は鼓動を刻んでいない」と称する振る舞いによって、議会は戦争を終結させた。そして、現在でも、Andorakの子孫が当地を統治している。<br>
<br>
概して、AndorakよりもCephorus二世の注意を要する仇敵が存在していた。Eraintineの言葉を借りれば「暗黒の悪夢から姿を現して」、〈Camoranの簒奪者〉〔Camoran_Usurper〕と名乗る男がDaedraと不死なる戦士の軍団を率いて、Valenwoodを蹂躙しながら次々と王国を征服していったのである。殆どの者たちは彼の猛攻に耐えられなかったが、その第3紀249年の月が血塗られたものになっていく中で、更に少数になった者たちでさえも抵抗を試みていた。〈簒奪者〉の北進を食い止めるためにCephorus二世は矢継ぎ早にHammerfellへと傭兵を派遣していったが、彼らは買収されるか、虐殺されてアン・デッドとして蘇らされてしまった。<br>
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〈Camoranの簒奪者〉に関する物語は、それ自体、1冊の書物に値するものである。(詳細を知りたい読者には、Palaux_Illthreの手になる『簒奪者の陥落』〔The_Fall_of_the_Usurper〕を得ることを薦めたい。)しかしながら、簡潔に言って、皇帝の努力にも関わらず、〈簒奪者〉の軍団の撃破は殆ど功を奏しなかった。結果は、極めて局地的である勝利と、表面上は無能である帝国に対する反感の増大であった。<br>
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Cephorus二世の息子にして後継者であるUriel5世は、帝国の潜在能力に対する評価を翻させた。国内の不和からTamrielの民衆の注意を逸らすために、第3紀268年に帝位に就いた殆ど直後から、Uriel5世は一連の侵攻に着手した。271年にRoscreaを、276年にCathnoqueyを、279年にYnesleaを、284年にEsronietを、Uriel5世は征服していった。第3紀288年には、彼は極めて野心的なる計画に着手した。Akavir大陸の王国に対する侵攻である。その2年後にAkavirのIonithの戦場に於いてUriel5世が殺害されて、これは完全に失敗であることが分かった。それにも関わらず、Tamriel帝国の偉大なる2人の戦士皇帝の内の1人として、Uriel5世はTiberに次いで名声を集めている。<br>
Cephorus二世の息子にして後継者であるUriel五世は、帝国の潜在能力に対する評価を翻させた。国内の不和からTamrielの民衆の注意を逸らすために、第3紀268年に帝位に就いた殆ど直後から、Uriel五世は一連の侵攻に着手した。271年にRoscreaを、276年にCathnoqueyを、279年にYnesleaを、284年にEsronietを、Uriel五世は征服していった。第3紀288年には、彼は極めて野心的なる計画に着手した。Akavir大陸の王国に対する侵攻である。その2年後にAkavirのIonithの戦場に於いてUriel五世が殺害されて、これは完全に失敗であることが分かった。それにも関わらず、Tamriel帝国の偉大なる2人の戦士皇帝の内の1人として、Uriel五世はTiberに次いで名声を集めている。<br>
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Uriel5世の幼い息子から始まる最後の4人の皇帝に関しては、このシリーズの第4番目にして最後の巻に於いて述べられる。<br>
Uriel五世の幼い息子から始まる最後の4人の皇帝に関しては、このシリーズの第4番目にして最後の巻に於いて述べられる。<br>
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