//=================================== // Format_ver:0.0.1 (2008-01-01) // // 【解説】 // ・この部分は書物翻訳時に自動的に読み込まれるテンプレート記載のヘッダです。 // ・翻訳ページ作成時も削除しない事を推奨します // // 【記述ガイド】 // ・#preの後の中括弧({と})のセット間に原文/訳文をタグが付いたまま // コピペすると編集上も表示上も便利です // // 【注意】 // ・本文部分を囲む#pre記述ですが、原文と訳文を囲む中括弧は // 『原文は3つづつ、訳文は4つづつ』 // になっている事に注意して下さい。これはMod作成時に // 正規表現で本文(訳文)を抽出するのに便利故です。 // ・訳文で半角スペースを表現したいときはアンダースコア(_)に置き換えてください // ・半角スペースを記述するとそこで改行扱いになるので注意して下さい // ・新しい訳を行う場合は古い訳の下に同じ書式で加えていくようにして下さい // ・翻訳未完時は、 【訳文記述エリア】 という文字列を残して置いて下さい(プログラム処理用) //=================================== *題名 [#name] **原題 [#name_en] -The Last King of the Ayleids **訳題 [#name_ja] -【訳題記述エリア】 *本文 [#text] **原文 [#text_en] // 注意:訳文の部分は中括弧({と})が3つづつ。 #pre{{{ <font face=1><DIV align="center">The Last King of the Ayleids<br> by Herminia Cinna<br> <br> <DIV align="left"><IMG src="Book/fancy_font/t_52x61.dds" width=52 height=61>he Ayleids, or Heartland High Elves, ruled Cyrodiil in the long ages of Myth before the beginning of recorded history. One of the earliest recorded dates, in fact, is the Fall of White Gold Tower in 1E 243, which is commonly assumed to mark the end of the Ayleids.<br> <br> Although Ayleid rule over all of Cyrodiil was indeed broken in 1E 243, this was only one of the most obvious stages near the end of a long decline. The first two centuries of the First Era saw increasing strife between the great Ayleid lords of Cyrodiil. Alessia appears to have taken advantage of a period of civil war to launch her uprising. Imperial historians have traditionally attributed her victory to intervention from Skyrim, but it appears that she had at least as much help from rebel Ayleid lords during the siege of White Gold Tower.<br> <br> The popular image of the Ayleids as brutal slavemasters is based in fact, of course, but it is less well-known that a number of Ayleid princes continued to rule parts of Cyrodiil after 263, as vassals of the new Empress of Cyrodiil. This suggests either that Ayleid rule was not universally detested, or that Alessia and her successors were more pragmatic than is traditionally believed, or perhaps some of both.<br> <br> In any event, excavations at a number of Ayleid sites show continued occupation and even expansion during the so-called Late Ayleid Period (1E 243 - c. 498). At first, many Ayleid lords continued to rule as vassals of the new human regime. In some cases, Ayleid supporters of Alessia were even rewarded with new lands taken from slain enemies. It is not clear to what extent human slavery continued under the Cyrodilic Empire. Humans continued to dwell in the Ayleid-ruled areas of Cyrodiil, but there is nothing definitive to show under what terms.<br> <br> This was an uneasy relationship from the beginning, and was not destined to last long. Resentment at the continued presence of Ayleid nobles within the Empire was a contributing factor to the rise of the so-called Alessian Order founded by Maruhk. The first victims of the Alessians were the Ayleids of Cyrodiil. In the early 300s, the surviving Ayleid communities in human-ruled areas were obliterated one by one, the refugees temporarily swelling the power of the remaining Ayleid lordships.<br> <br> Then in 361, the Alessians gained control of the Empire and enforced the Alessian Doctrines throughout its domain. The Ayleid lordships were abolished. Enforcement of this decree does not appear to have required much direct violence -- it seems that by this point the balance of power was so overwhelmingly against them, and their fate so long foreshadowed, that most of the remaining Ayleids simply left Cyrodiil, eventually being absorbed into the Elven populations of Valenwood and High Rock. Indeed, the rise of the Direnni Hegemony may be linked to this exodus of Ayleids from Cyrodiil (a connection so far little studied by historians).<br> <br> Still, a remnant Ayleid population seems to have survived the rule of the Alessians, because we hear of "the last king of the Ayleids" joining the battle of Glenumbria Moors where the Dirennis decisively defeated the Alessians in 482. How this king's people survived the preceding century is unknown. We do not even know who they were, although recent research points to Nenalata as the possible resting place of this "last king." Unfortunately, in the current state of the Empire, funds are no longer available for proper scientific investigation of such extensive ruins, so the answer to these questions will have to be left to future generations.<br> }}} **訳文 [#text_ja] // 注意:訳文の部分は中括弧({と})が原文部分と異なり4つづつ。 #pre{{{{ <font face=1><DIV align="center"> Ayleid最後の王<br> Herminia Cinna著<br> <br> <DIV align="left"><IMG src="Book/fancy_font/t_52x61.dds" width=52 height=61>he Ayleids、あるいはHeartland High Elfと呼ばれる者たちは、歴史記録が始まる以前の、長い神話の時代にCyrodiilを治めていた。事実、記録された日付のうちで最も早いものの一つは、Ayleidの最後を表すと一般に考えられている、第1紀243年の〈White Gold Towerの陥落〉なのである。<br> <br> AyleidによるCyrodiil全土の支配が崩壊したのは確かに第1紀243年であったが、これは単に、長い衰退期間の末の、最も目立つ事件の一つに過ぎなかった。第1紀の最初の2世紀が目撃したのは、Cyrodiilの強力なAyleid君主同士の紛争の激化だった。Alessiaは反乱を起こすにあたって、内乱の時期を利用したようである。帝国の歴史家たちは、Alessiaの勝利をSkyrimからの干渉に帰することを慣例としているが、少なくともそれと同じ程度の助力を、White Gold Tower包囲戦の際にAlessiaは反乱Ayleid君主たちから得ていたようである。<br> <br> 「冷酷な奴隷主人」という一般的なAyleid像は、もちろん事実に基づいている。しかし、それほど広く知られていない事実として、263年以降、多くのAyleidの君主が、Cyrodiilの新しい女帝の封建家臣としてCyrodiilの一部を支配し続けたということがある。これが示唆するのは、Ayleidの支配はCyrodiilであまねく厭われていたわけではなかったということかもしれず、あるいはAlessiaとその後継者たちは伝統的に信じられているよりも実際的だったということかもしれず、あるいはどちらもある程度正しいのかもしれない。<br> <br> いずれにせよ、多数のAyleid遺跡の発掘調査によってわかるのは、いわゆる〈末期Ayleid時代〉(第1紀243年‐498年ごろ)においても、それらの場所では居住が続けられ、拡張さえされていたということである。始めのうち、多くのAyleid君主が、人間による新たな政体の封建家臣として支配を続けた。場合によっては、Alessiaに助力したAyleidへの報償として、処刑した敵から没収した土地が新たな領地として与えられることさえあった。Cyrodiil帝国において、人間を奴隷とすることがいかなる程度まで続けられたのかは明らかでない。人間はCyrodiilのAyleid支配地域に住み続けた。しかし、両者がどのような関係にあったのかを示す、信頼できる証拠はない。<br> <br> これは当初から落ち着かぬ関係であり、長く続く定めにはなかった。帝国内にAyleid貴族が存在し続けていることに対する鬱憤は、Maruhkの設立したいわゆるAlessian Orderが力を増す一因となった。CyrodiilのAyleidたちは、Alessians(訳注: Alessian Orderを指す)の最初の犠牲者となった。300年代の初め、人間の支配地域に生き残っていたAyleid共同体は一つまた一つと潰されてゆき、その難民は、残るAyleid領地の力を一時的に増すこととなった。<br> <br> そして361年、Alessiansは帝国の支配権を握り、〈Alessia教書〉〔Alessian Doctrines〕を領土全域に強制した。Ayleidの領地は廃止された。この布告の強制は、大規模な直接的暴力を引き起こしはしなかったようである。この時点までに、力関係は圧倒的にAyleidにとって不利な状況になっており、彼らの運命はずっと前から明らかだった。そこで、残ったAyleidの大部分はただCyrodiilを去り、ついにはValenwoodとHigh RockのElfの中に吸収されていった。事実、〈Direnniの覇権〉〔Direnni Hegemony〕の勃興は、このAyleidのCyrodiil出国に関係していた可能性がある(この関連について歴史家はこれまでほとんど研究していない)。<br> <br> しかし同時に、Ayleid住民の残存者がAlessiansの支配下を生き延びていたようである。なぜなら、482年、DirenniたちがAlessiansを決定的に敗北させたGlenumbria Moorsの戦いに、「Ayleid最後の王」が加わっていた、という話があるのだ。この王の民たちが、これに先立つ1世紀間をどのようにして生き延びていたのかは不明である。彼らが何者なのかも、我々にはわかっていない。しかし、最近の調査により、この「最後の王」の眠る場所がNenalataであるという可能性が浮かんでいる。残念ながら、帝国の現在の状態では、このような広大な遺跡で正式な科学調査を行う資金を得ることはもはやできない。したがって、これらの疑問に対する答えは、未来の世代に委ねざるを得ない。<br> }}}} // 注意:訳文の部分は中括弧({と})が原文部分と異なり4つづつ。 #pre{{{{ <font face=1><DIV align="center">Ayleid最後の王<br> Herminia_Cinna著<br> <br> <DIV align="left"><IMG src="Book/fancy_font/t_52x61.dds" width=52 height=61>he_Ayleids、あるいはHeartland_High_Elfと呼ばれる者たちは、歴史記録が始まる以前の、長い神話の時代にCyrodiilを治めていた。事実、記録された日付のうちで最も早いものの一つは、Ayleidの最後を表すと一般に考えられている、第1紀243年の〈White_Gold_Towerの陥落〉なのである。<br> <br> AyleidによるCyrodiil全土の支配が崩壊したのは確かに第1紀243年であったが、これは単に、長い衰退期間の末の、最も目立つ事件の一つに過ぎなかった。第1紀の最初の2世紀が目撃したのは、Cyrodiilの強力なAyleid君主同士の紛争の激化だった。Alessiaは反乱を起こすにあたって、内乱の時期を利用したようである。帝国の歴史家たちは、Alessiaの勝利をSkyrimからの干渉に帰することを慣例としているが、少なくともそれと同じ程度の助力を、White_Gold_Tower包囲戦の際にAlessiaは反乱Ayleid君主たちから得ていたようである。<br> <br> 「冷酷な奴隷主人」という一般的なAyleid像は、もちろん事実に基づいている。しかし、それほど広く知られていない事実として、263年以降、多くのAyleidの君主が、Cyrodiilの新しい女帝の封建家臣としてCyrodiilの一部を支配し続けたということがある。これが示唆するのは、Ayleidの支配はCyrodiilであまねく厭われていたわけではなかったということかもしれず、あるいはAlessiaとその後継者たちは伝統的に信じられているよりも実際的だったということかもしれず、あるいはどちらもある程度正しいのかもしれない。<br> <br> いずれにせよ、多数のAyleid遺跡の発掘調査によってわかるのは、いわゆる〈末期Ayleid時代〉(第1紀243年‐498年ごろ)においても、それらの場所では居住が続けられ、拡張さえされていたということである。始めのうち、多くのAyleid君主が、人間による新たな政体の封建家臣として支配を続けた。場合によっては、Alessiaに助力したAyleidへの報償として、処刑した敵から没収した土地が新たな領地として与えられることさえあった。Cyrodiil帝国において、人間を奴隷とすることがいかなる程度まで続けられたのかは明らかでない。人間はCyrodiilのAyleid支配地域に住み続けた。しかし、両者がどのような関係にあったのかを示す、信頼できる証拠はない。<br> <br> これは当初から落ち着かぬ関係であり、長く続く定めにはなかった。帝国内にAyleid貴族が存在し続けていることに対する鬱憤は、Maruhkの設立したいわゆるAlessia教団が力を増す一因となった。CyrodiilのAyleidたちは、Alessia派(訳注:Alessia教団を指す)の最初の犠牲者となった。300年代の初め、人間の支配地域に生き残っていたAyleid共同体は一つまた一つと潰されてゆき、その難民は、残るAyleid領地の力を一時的に増すこととなった。<br> これは当初から落ち着かぬ関係であり、長く続く定めにはなかった。帝国内にAyleid貴族が存在し続けていることに対する鬱憤は、Maruhkの設立したいわゆるAlessia教団〔Alessian_Order〕が力を増す一因となった。CyrodiilのAyleidたちは、Alessia派(訳注:Alessia教団〔Alessian_Order〕を指す)の最初の犠牲者となった。300年代の初め、人間の支配地域に生き残っていたAyleid共同体は一つまた一つと潰されてゆき、その難民は、残るAyleid領地の力を一時的に増すこととなった。<br> <br> そして361年、Alessia派は帝国の支配権を握り、〈Alessia教書〉〔Alessian_Doctrines〕を領土全域に強制した。Ayleidの領地は廃止された。この布告の強制は、大規模な直接的暴力を引き起こしはしなかったようである。この時点までに、力関係は圧倒的にAyleidにとって不利な状況になっており、彼らの運命はずっと前から明らかだった。そこで、残ったAyleidの大部分はただCyrodiilを去り、ついにはValenwoodとHigh_RockのElfの中に吸収されていった。事実、〈Direnniの覇権〉〔Direnni_egemony〕の勃興は、このAyleidのCyrodiil出国に関係していた可能性がある(この関連について歴史家はこれまでほとんど研究していない)。<br> <br> しかし同時に、Ayleid住民の残存者がAlessia派の支配下を生き延びていたようである。なぜなら、482年、DirenniたちがAlessia派を決定的に敗北させたGlenumbria_Moorsの戦いに、「Ayleid最後の王」が加わっていた、という話があるのだ。この王の民たちが、これに先立つ1世紀間をどのようにして生き延びていたのかは不明である。彼らが何者なのかも、我々にはわかっていない。しかし、最近の調査により、この「最後の王」の眠る場所がNenalataであるという可能性が浮かんでいる。残念ながら、帝国の現在の状態では、このような広大な遺跡で正式な科学調査を行う資金を得ることはもはやできない。したがって、これらの疑問に対する答えは、未来の世代に委ねざるを得ない。<br> }}}}