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Vanilla/Books/SKLxAthletics3
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**訳文 [#k0b56a23] // 注意:訳文の部分は中括弧({と})が原文部分と異なり4つづつ。 #pre{{{{ <font face=1><DIV align="center">The_Red_Kitchen_Reader<br> Simocles_Quo著<br> <br> <DIV align="left"><IMG src="Book/fancy_font/t_52x61.dds" width=52 height=61>hough_naturally_modest,__私は生まれつき謙虚な性分だが、自分が「Tamriel最高の通人」として、我らが皇帝陛下の御父上であらせられる故Pelagius四世陛下から騎士の叙勲を受けたことには、いくらかの喜びを感じると認めざるを得ない。さらに陛下は私を、最初にして現在まで唯一の〈皇室料理親方〉に任命して下さったのである。ほかの皇帝方も、もちろん熟練のシェフやコックを置いていたが、宮廷に供するにふさわしい献立を練り、最高の食材を選び出す高尚な鑑識眼をもつ者が置かれていたのは、Pelagius陛下の治世の間だけなのである。御子息のUriel陛下は、私にその地位に留まるようお求めになったが、年齢と健康の問題から、私は謹んでそのお招きを辞退せざるを得なかった。<br> <br> しかしながら、この著述は自叙伝を意図したものではない。私は美食の騎士として、人生で数多の冒険をしてきた。だが、この著述の意図はもっと限定された話題である。私は何度も質問を受けたものだ、「あなたがこれまでに食べたもののうち、最高のものは何か?」と。<br> <br> その答えは単純ではない。偉大な食事の喜びというのは食べ物の中だけにあるのではない。それはその場のセッティング、同席者、雰囲気の中にあるものなのだ。平凡な焙り肉あるいは簡単なシチューでも、あなたの心から愛する人とともに食べてみたまえ、それは記憶に残る食事となるだろう。12品からなる極上のコース料理でも、同席者は退屈、体調は若干すぐれない、という状況で食べれば、記憶から消えてしまうか、あるいは嫌な思い出として残るのみであろう。<br> <br> 時に食事は、それに先立つ経験によって記憶に残るものとなる。<br> <br> 比較的最近のことだが、Skyrim北部で、私は少しばかり不運な目に会った。Merringarと呼ばれる、きわめて珍しく、きわめて美味な魚を獲る技術を観察するため、私は漁師の一団とともにいた。この魚は岸から遠く離れた沖合いにしかいないため、航海は文明を離れること一週間におよんだ。さて、首尾よく私たちはMerringarの群を見つけたが、漁師たちが銛で突き始めると、水中に拡がった血がDreughの一群を惹き寄せてしまった。そいつらは船を転覆させ、全員海に投げ出された。私はなんとか生き延びたものの、漁師たちとすべての備品は失われてしまった。悲しいかな、私が長年の間に身につけた技術の中に航海術は含まれていなかった。そのため私は3週間もかかって、糧食もなしに、Solitude王国へと帰りついたのである。どうにか十分な量の小魚を捕まえて生のまま食べてはいたが、それでも飢えと渇きから私はもうろうとしていた。陸に上がって最初にとった食事、すなわちNord風の猪の焙り肉にJazbayワイン、そしてもちろんMerringarの切り身は、どんな状況のもとでもすばらしいものだったろうが、それまで直面していた飢餓の脅威のために、筆舌に尽くしがたいほど神々しい味であった。<br> <br> 時に食事は、その後に来る経験によってさらに記憶に残るものとなる。<br> <br> Falinestiのとある宿屋で、私はKollopiと呼ばれる素朴な農民料理に出会った。とてもおいしい小さな肉団子で、スパイスが効いて肉汁たっぷりだった。あまりの風味のよさに、それがどこから来たものか女主人に尋ねた。するとPascost母さんは、Kollopiは樹上性の齧歯類で、graht-oakのもっとも柔らかい小枝だけを食べて生きているのだと説明してくれた。そして私は幸運にも、年に一度の狩猟の時期にValenwoodに居合わせることができたのである。私はImga猿の小さな群れに加わるよう招かれた。彼らだけが、汁けたっぷりのこの小さな鼠を捕ることができるのだ。Kollopiは木々のもっとも細い枝の上、しかもその先端だけに住むため、Imgaはその下まで登り、そこから跳び上がってKollopiを枝から「摘む」必要がある。もちろんImgaはもともと機敏だからできるのだが、その頃は私もまだまだ若くすばしこかったので、彼らは私にも手伝わせてくれた。彼らのように高く跳ぶことはできなかったが、何度も試した末、首と上半身を固めて動かさぬままシザーキックの要領で地面から跳び上がれば、もっとも低い枝にいるKollopiなら私でも届くことを発見した。確かKollopiを3匹、自分で捕まえたと思うが、大変な努力が必要だったものだ。<br> <br> 今でもKollopiのことを考えると唾がわいてくる。しかし私の頭に浮かぶのは、私と数十匹のImgaがgraht-oakの樹陰でぴょんぴょん跳び上がっている光景なのである。<br> <br> それからもちろん、食事の前、後、最中の出来事すべてのために記憶に残る稀な食事がある。ここに至って私は、これまでに食べた中で最高のもの、極上の料理に取り憑かれた生涯が始まるきっかけとなった食事を思い出すのだ。<br> <br> Cheydinhalで育った子供時代、私は食べ物がまったく好きではなかった。もちろん、とことん愚か者というわけではなかったから、栄養分の必要性はわかっていた。しかし、食事の時間がわずかなりとも私に喜びをもたらしたとは言い難い。その原因の一部は、もちろん我が家のコックのせいだった。彼女は、スパイスはDaedraの発明品である、善きImperialたるもの、歯応えも風味もないゆでた食べ物を好むべし、と信じていたのである。この問題にこうした宗教的意味合いを与えたのは彼女だけだろうと思うが、伝統的なCyrodiil料理を食した私のこれまでの経験からすると、この哲学は、残念ながら我が故郷の地では一般的であるようだ。<br> <br> 食べ物には喜びを見出さなかった私だが、他のことではけっして気難しい引っ込み思案な子供というわけではなかった。闘技場の戦いはもちろん楽しんだし、なにより、自分の町の街路を自分の想像力だけを伴侶としてうろつきまわることほど、私にとって楽しいことはなかった。そしてMid_Year月のある晴れたFredasに、そんな遠足の一つで、私の心と人生を変えてしまった発見をしたのである。<br> <br> 私の家から少し行ったところに古い空き家が数軒あり、私はよくそのまわりで遊びながら、その家々が無鉄砲な無法者でいっぱいだとか、たくさんの悪霊に憑りつかれているとかいった空想をした。中に入る勇気はまったくなかった。事実その日も、以前から私をいじめて喜んでいる数人の子供たちの姿を見かけなければ、けっして中に入ることはなかっただろう。だが、そのとき私には安全な聖域が必要だった。そこで私はもっとも近い空き家に駆け込んだのである。<br> <br> 家の中は外側と同じように荒れ果てて見え、そこには誰も、それもかなり長い間、人が住んでいないことをさらに証明していた。だから足音が聞こえた時も、避けようと思ったいやな悪餓鬼たちが自分を追いかけてきたと思っただけだった。私は地下室へ逃げた。さらにそこから崩れた壁を通り抜けると、そこには井戸があった。上からはまだ足音が聞こえた。やはり私はいじめっ子たちと対決する気になれなかった。井戸の口の錆びた鍵を叩き壊すと、私は中へ滑り込んだ。<br> <br> 井戸は干上がっていたが、空っぽというには程遠いことを私は発見した。そこには、その家の副地下室とでも言うべきものがあったのだ。3つある大きな部屋は清潔で、家具を備え、明らかに空き家などではなかった。私の感覚が、この家にはやはり誰かが住んでいたのだと告げた。視覚だけでなく、嗅覚もそれを告げていた。というのも、部屋の一つは大きな赤く塗られた台所で、そのオーブンの炭の上に、一口大に切り分けた焙り肉が並んでいたのである。母親が子供たちのために焙り肉を切り分けるさまを描いた、美しく、またこの場所にふさわしい浅浮き彫りの横を通り、私は台所とその内部の驚異を目にした。<br> <br> 先に述べたとおり、それまで食べ物が私の関心を捉えたことはなかったのだが、私はくぎづけになってしまった。これを書いている今も、宙に漂っていたあの豊かな香りを描写する言葉が見つからない。それは我が家の台所で嗅いだことのあるどんな香りとも違っていて、私はつい自分を抑えることができず、湯気の立つ肉を一切れつまんで口に放り込んだ。その味は魔法のようで、肉は柔らかく甘美だった。気づくと私はコンロの上の肉をすべて平らげてしまっていた。そしてまさにその瞬間、私は、食べ物というのが崇高なものに成り得ること、そしてそうあらねばならぬということを学んだのだった。<br> <br> 腹一杯に詰め込み、料理についての悟りを啓いたあとで、私はどうするべきかという葛藤に直面した。私の一部は、シェフが戻るまでその赤い台所で待ち、美味なる肉の秘密の調理法を聞き出したいと望んでいた。別の一部は、自分は他人の家に忍び込んで彼らの夕食を食べてしまったのだ、逃げ出せるうちに逃げ出すのが賢いやり方だ、と認識した。そして私はそうしたのである。<br> <br> 私は何度も、あの奇妙な驚くべき場所をふたたび訪れようと試みたものだ。しかし時が経つうちにCheydinhalは変わってしまった。古い家々には新しい住人が入り、新しい家々は空き家になった。家の内部で何を探せばよいかはわかっている――井戸、子供たちに焙り肉を切り分ける女性の美しい浮き彫り、そして赤い台所そのもの――しかし、あの家をふたたび見つけることはできなかった。しばらく時が経ち、成長するにつれて、私は探すことをやめた。思い出として留めて置くほうがむしろよいのだ、これまでに食べた中でもっとも完璧なあの食事は。<br> <br> その後の人生へと私を導いた霊感は、まさにあの赤い台所で、あの信じられないような肉と一緒に焼き上げられたのである。<br> <br> <br> <br> <br> }}}}
//=================================== // Format_ver:0.0.1 (2008-01-01) // // 【解説】 // ・この部分は書物翻訳時に自動的に読み込まれるテンプレート記載のヘッダです。 // ・翻訳ページ作成時も削除しない事を推奨します // // 【記述ガイド】 // ・#preの後の中括弧({と})のセット間に原文/訳文をタグが付いたまま // コピペすると編集上も表示上も便利です // // 【注意】 // ・本文部分を囲む#pre記述ですが、原文と訳文を囲む中括弧は // 『原文は3つづつ、訳文は4つづつ』 // になっている事に注意して下さい。これはMod作成時に // 正規表現で本文(訳文)を抽出するのに便利故です。 // ・訳文で半角スペースを表現したいときはアンダースコア(_)に置き換えてください // ・半角スペースを記述するとそこで改行扱いになるので注意して下さい // ・新しい訳を行う場合は古い訳の下に同じ書式で加えていくようにして下さい // ・翻訳未完時は、 【訳文記述エリア】 という文字列を残して置いて下さい(プログラム処理用) //=================================== *題名 [#i71eb77f] **原題 [#o2fba1a3] -The Red Kitchen Reader **訳題 [#obf65339] -【訳題記述エリア】 *本文 [#n9252708] **原文 [#b3974fd6] // 注意:訳文の部分は中括弧({と})が3つづつ。 #pre{{{ <font face=1><DIV align="center">The Red Kitchen Reader<br> By Simocles Quo<br> <br> <DIV align="left"><IMG src="Book/fancy_font/t_52x61.dds" width=52 height=61>hough naturally modest, I must admit to some pleasure in being dubbed by our Emperor's father, the late Pelagius IV, as "the finest connoisseur in Tamriel." He was also good enough to appoint me the first, and to this day, the only Master of Cuisine in the Imperial Court. Other Emperors, of course, had master chefs and cooks in their staff, but only during the reign of Pelagius was there someone of rarefied tastes to plan the menus and select the finest produce to be served at court. His son Uriel requested that I continue in that position, but I was forced to graciously decline the invitation, because of age and poor health.<br> <br> This book, however, is not intended to be autobiography. I have had a great many adventures in my life as a knight of fine dining, but my intention for this book is much more specific. Many times I have been asked, "What is the best thing you ever ate?"<br> <br> The answer to that is not a simple one. Much of the pleasure of a great meal is not only in the food: it is in the setting, the company, the mood. Eat an indifferently cooked roast or a simple stew with your one true love, and it is a meal to be remembered. Have an excellent twelve-course feast with dull company, while feeling slightly ill, and it will be forgotten, or remembered only with distaste. <br> <br> Sometimes meals are memorable for the experiences that come before them.<br> <br> Fairly recently, in northern Skyrim, I had a bit of bad luck. I was with a group of fishermen, observing their technique of capturing a very rare, very delicious fish called Merringar. The fish is found only far from shore, so it was a week's voyage out beyond civilization. Well, we found our school of Merringar, but as the fishermen began spearing them, the blood in the water attracted a family of Dreugh, who capsized the boat and everyone on it. I managed to save myself, but the fishermen and all our supplies were lost. Sailing is not, alas, a skill I have picked up over the years, and it took me three weeks, with no provisions, to find my way back to the kingdom of Solitude. I had managed to catch enough small fish to eat raw, but I was still delirious from hunger and thirst. The first meal I had on shore, of Nordic roast boar, Jazbay wine, and, yes, filet of Merringar would have been excellent under any circumstances, but because of the threat of starvation I had faced, it was divine beyond words.<br> <br> Sometimes meals are even memorable for the experiences that follow them.<br> <br> In a tavern in Falinesti, I was introduced to a simple peasant dish called Kollopi, delicious little balls of flesh, thick with spices and juice, so savory I asked the proprietress whence they came. Mother Pascost explained that the Kollopi were an arboreal rodent that fed exclusively on the most tender branches of the graht-oak, and I was fortunate enough to be in Valenwood at the time of the annual harvest. I was invited to join with a small colony of Imga monkeys, who alone could gather these succulent little mice. Because they lived only on the slenderest branches of the trees, and only on the ends of those same branches, the Imga had to climb beneath them and jump up to "pick" the Kollopi from their perches. Imga are, of course, naturally dexterous, but I was then relatively young and spry, and they let me help them. While I could never jump as high they could, with practice, I found that if I kept my head and upper body rigid, and launched off the ground with a scissors-like kick, I could reach the Kollopi on the lowest branches of the tree. I believe I gathered three Kollopi myself, though with considerable effort.<br> <br> To this day, I salivate at the thought of Kollopi, but my mind is on the image of myself and several dozen Imgas leaping around beneath the shade of the graht-oaks.<br> <br> Then, of course, there are the rare meals memorable for what came before, after, and during the meal, which brings me to the finest thing I ever ate, the meal that began my lifelong obsession with excellent cuisine.<br> <br> As a child growing up in Cheydinhal, I did not care for food at all. I recognized the value of nutrition, for I was not a complete dullard, but I cannot say that mealtime brought me any pleasure at all. Partly, of course, this was the fault of my family's cook, who believed that spices were an invention of the Daedra, and that good Imperials should like their food boiled, textureless and flavorless. Though I think she was alone in assigning a religious significance to this, my sampling of traditional Cyrodilic cuisine suggests that the philosophy is regrettably common in my homeland.<br> <br> Though I did not enjoy food per se, I was not a morose, unadventurous child in other respects. I enjoyed the fights in the Arena, of course, and nothing made me happier than wandering the streets of my town, with my imagination as my only companion. It was on one such jaunt on a sunny Fredas in Mid Year that I made a discovery that changed my heart and my life.<br> <br> There were several old abandoned houses down the street from my own home, and I often played around them, imagining them to be filled with desperate outlaws or haunted by hundreds of evil spirits. I never had the nerve to go inside. In fact, had I not that day seen some other children who had delighted in teasing me in the past, I would never have gone in. But I needed a sanctuary, so I ran into the closest one.<br> <br> The house seemed to be as desolate on the inside as on the outside, further proof that no one lived there, and had not for some time. When I heard footsteps, I could only assume that the loathsome little urchins I hoped to avoid had followed me in. I escaped to the basement, and from there, past a broken-down wall that led to a well. I could still hear the footsteps above, and I decided that I was still loath to confront my tormentors. Knocking aside the rusty locks on the well, I slipped down below.<br> <br> The well was dry, but I discovered it was far from empty. There was a sort of a sub-basement to the house, three large rooms that were clean, furnished, and evidently not abandoned at all. My senses told me someone was living in the house, after all: not only my sense of sight, but my sense of smell. For one of the rooms was a large red-painted kitchen, and spread out on the coals of the oven was a roast, carved into small morsels. Passing a beautiful and appropriate bas-relief of a mother carving a roast for her grateful children, I beheld the kitchen and the wonders within.<br> <br> Like I said, food had never interested me before, but I was transfixed, and even now as I write this, words fail me in describing the rich aroma that hung in the air. It was like nothing I had ever smelled in my family's kitchen, and I was unable to stop myself from popping one of the steaming chunks of meat into my mouth. The taste was magical, the flesh tender and sweet. Before I knew it, I had eaten everything on the stove, and I learned at that very second the truth that that food can and should be sublime.<br> <br> After gorging myself and having my culinary epiphany, I was conflicted on what to do. Part of me wanted to wait down in that red kitchen until the chef returned, so I could ask him what his secret recipe was for the delicious meat. Part of me recognized that I had stolen into someone's house and eaten their dinner, and it would be wise to leave while I could. That was what I did.<br> <br> Time and again, I've tried to return to that strange, wonderful place, but Cheydinhal has changed over time. Old houses have been reclaimed, and new houses abandoned. I know what to look for on the inside of the house - the well, the beautiful etching of a woman preparing to carve out a roast for her children, the red kitchen itself - but I have never been able to find the house again. After a while, as I grew older, I stopped trying. It is better as it remains in my memory, the most perfect meal I ever ate.<br> <br> The inspiration for my life that followed all was cooked up, together with that fabulous meat, right there in the Red Kitchen.<br> <br> <br> <br> <br> }}} **訳文 [#k0b56a23] // 注意:訳文の部分は中括弧({と})が原文部分と異なり4つづつ。 #pre{{{{ <font face=1><DIV align="center">The_Red_Kitchen_Reader<br> Simocles_Quo著<br> <br> <DIV align="left"><IMG src="Book/fancy_font/t_52x61.dds" width=52 height=61>hough_naturally_modest,__私は生まれつき謙虚な性分だが、自分が「Tamriel最高の通人」として、我らが皇帝陛下の御父上であらせられる故Pelagius四世陛下から騎士の叙勲を受けたことには、いくらかの喜びを感じると認めざるを得ない。さらに陛下は私を、最初にして現在まで唯一の〈皇室料理親方〉に任命して下さったのである。ほかの皇帝方も、もちろん熟練のシェフやコックを置いていたが、宮廷に供するにふさわしい献立を練り、最高の食材を選び出す高尚な鑑識眼をもつ者が置かれていたのは、Pelagius陛下の治世の間だけなのである。御子息のUriel陛下は、私にその地位に留まるようお求めになったが、年齢と健康の問題から、私は謹んでそのお招きを辞退せざるを得なかった。<br> <br> しかしながら、この著述は自叙伝を意図したものではない。私は美食の騎士として、人生で数多の冒険をしてきた。だが、この著述の意図はもっと限定された話題である。私は何度も質問を受けたものだ、「あなたがこれまでに食べたもののうち、最高のものは何か?」と。<br> <br> その答えは単純ではない。偉大な食事の喜びというのは食べ物の中だけにあるのではない。それはその場のセッティング、同席者、雰囲気の中にあるものなのだ。平凡な焙り肉あるいは簡単なシチューでも、あなたの心から愛する人とともに食べてみたまえ、それは記憶に残る食事となるだろう。12品からなる極上のコース料理でも、同席者は退屈、体調は若干すぐれない、という状況で食べれば、記憶から消えてしまうか、あるいは嫌な思い出として残るのみであろう。<br> <br> 時に食事は、それに先立つ経験によって記憶に残るものとなる。<br> <br> 比較的最近のことだが、Skyrim北部で、私は少しばかり不運な目に会った。Merringarと呼ばれる、きわめて珍しく、きわめて美味な魚を獲る技術を観察するため、私は漁師の一団とともにいた。この魚は岸から遠く離れた沖合いにしかいないため、航海は文明を離れること一週間におよんだ。さて、首尾よく私たちはMerringarの群を見つけたが、漁師たちが銛で突き始めると、水中に拡がった血がDreughの一群を惹き寄せてしまった。そいつらは船を転覆させ、全員海に投げ出された。私はなんとか生き延びたものの、漁師たちとすべての備品は失われてしまった。悲しいかな、私が長年の間に身につけた技術の中に航海術は含まれていなかった。そのため私は3週間もかかって、糧食もなしに、Solitude王国へと帰りついたのである。どうにか十分な量の小魚を捕まえて生のまま食べてはいたが、それでも飢えと渇きから私はもうろうとしていた。陸に上がって最初にとった食事、すなわちNord風の猪の焙り肉にJazbayワイン、そしてもちろんMerringarの切り身は、どんな状況のもとでもすばらしいものだったろうが、それまで直面していた飢餓の脅威のために、筆舌に尽くしがたいほど神々しい味であった。<br> <br> 時に食事は、その後に来る経験によってさらに記憶に残るものとなる。<br> <br> Falinestiのとある宿屋で、私はKollopiと呼ばれる素朴な農民料理に出会った。とてもおいしい小さな肉団子で、スパイスが効いて肉汁たっぷりだった。あまりの風味のよさに、それがどこから来たものか女主人に尋ねた。するとPascost母さんは、Kollopiは樹上性の齧歯類で、graht-oakのもっとも柔らかい小枝だけを食べて生きているのだと説明してくれた。そして私は幸運にも、年に一度の狩猟の時期にValenwoodに居合わせることができたのである。私はImga猿の小さな群れに加わるよう招かれた。彼らだけが、汁けたっぷりのこの小さな鼠を捕ることができるのだ。Kollopiは木々のもっとも細い枝の上、しかもその先端だけに住むため、Imgaはその下まで登り、そこから跳び上がってKollopiを枝から「摘む」必要がある。もちろんImgaはもともと機敏だからできるのだが、その頃は私もまだまだ若くすばしこかったので、彼らは私にも手伝わせてくれた。彼らのように高く跳ぶことはできなかったが、何度も試した末、首と上半身を固めて動かさぬままシザーキックの要領で地面から跳び上がれば、もっとも低い枝にいるKollopiなら私でも届くことを発見した。確かKollopiを3匹、自分で捕まえたと思うが、大変な努力が必要だったものだ。<br> <br> 今でもKollopiのことを考えると唾がわいてくる。しかし私の頭に浮かぶのは、私と数十匹のImgaがgraht-oakの樹陰でぴょんぴょん跳び上がっている光景なのである。<br> <br> それからもちろん、食事の前、後、最中の出来事すべてのために記憶に残る稀な食事がある。ここに至って私は、これまでに食べた中で最高のもの、極上の料理に取り憑かれた生涯が始まるきっかけとなった食事を思い出すのだ。<br> <br> Cheydinhalで育った子供時代、私は食べ物がまったく好きではなかった。もちろん、とことん愚か者というわけではなかったから、栄養分の必要性はわかっていた。しかし、食事の時間がわずかなりとも私に喜びをもたらしたとは言い難い。その原因の一部は、もちろん我が家のコックのせいだった。彼女は、スパイスはDaedraの発明品である、善きImperialたるもの、歯応えも風味もないゆでた食べ物を好むべし、と信じていたのである。この問題にこうした宗教的意味合いを与えたのは彼女だけだろうと思うが、伝統的なCyrodiil料理を食した私のこれまでの経験からすると、この哲学は、残念ながら我が故郷の地では一般的であるようだ。<br> <br> 食べ物には喜びを見出さなかった私だが、他のことではけっして気難しい引っ込み思案な子供というわけではなかった。闘技場の戦いはもちろん楽しんだし、なにより、自分の町の街路を自分の想像力だけを伴侶としてうろつきまわることほど、私にとって楽しいことはなかった。そしてMid_Year月のある晴れたFredasに、そんな遠足の一つで、私の心と人生を変えてしまった発見をしたのである。<br> <br> 私の家から少し行ったところに古い空き家が数軒あり、私はよくそのまわりで遊びながら、その家々が無鉄砲な無法者でいっぱいだとか、たくさんの悪霊に憑りつかれているとかいった空想をした。中に入る勇気はまったくなかった。事実その日も、以前から私をいじめて喜んでいる数人の子供たちの姿を見かけなければ、けっして中に入ることはなかっただろう。だが、そのとき私には安全な聖域が必要だった。そこで私はもっとも近い空き家に駆け込んだのである。<br> <br> 家の中は外側と同じように荒れ果てて見え、そこには誰も、それもかなり長い間、人が住んでいないことをさらに証明していた。だから足音が聞こえた時も、避けようと思ったいやな悪餓鬼たちが自分を追いかけてきたと思っただけだった。私は地下室へ逃げた。さらにそこから崩れた壁を通り抜けると、そこには井戸があった。上からはまだ足音が聞こえた。やはり私はいじめっ子たちと対決する気になれなかった。井戸の口の錆びた鍵を叩き壊すと、私は中へ滑り込んだ。<br> <br> 井戸は干上がっていたが、空っぽというには程遠いことを私は発見した。そこには、その家の副地下室とでも言うべきものがあったのだ。3つある大きな部屋は清潔で、家具を備え、明らかに空き家などではなかった。私の感覚が、この家にはやはり誰かが住んでいたのだと告げた。視覚だけでなく、嗅覚もそれを告げていた。というのも、部屋の一つは大きな赤く塗られた台所で、そのオーブンの炭の上に、一口大に切り分けた焙り肉が並んでいたのである。母親が子供たちのために焙り肉を切り分けるさまを描いた、美しく、またこの場所にふさわしい浅浮き彫りの横を通り、私は台所とその内部の驚異を目にした。<br> <br> 先に述べたとおり、それまで食べ物が私の関心を捉えたことはなかったのだが、私はくぎづけになってしまった。これを書いている今も、宙に漂っていたあの豊かな香りを描写する言葉が見つからない。それは我が家の台所で嗅いだことのあるどんな香りとも違っていて、私はつい自分を抑えることができず、湯気の立つ肉を一切れつまんで口に放り込んだ。その味は魔法のようで、肉は柔らかく甘美だった。気づくと私はコンロの上の肉をすべて平らげてしまっていた。そしてまさにその瞬間、私は、食べ物というのが崇高なものに成り得ること、そしてそうあらねばならぬということを学んだのだった。<br> <br> 腹一杯に詰め込み、料理についての悟りを啓いたあとで、私はどうするべきかという葛藤に直面した。私の一部は、シェフが戻るまでその赤い台所で待ち、美味なる肉の秘密の調理法を聞き出したいと望んでいた。別の一部は、自分は他人の家に忍び込んで彼らの夕食を食べてしまったのだ、逃げ出せるうちに逃げ出すのが賢いやり方だ、と認識した。そして私はそうしたのである。<br> <br> 私は何度も、あの奇妙な驚くべき場所をふたたび訪れようと試みたものだ。しかし時が経つうちにCheydinhalは変わってしまった。古い家々には新しい住人が入り、新しい家々は空き家になった。家の内部で何を探せばよいかはわかっている――井戸、子供たちに焙り肉を切り分ける女性の美しい浮き彫り、そして赤い台所そのもの――しかし、あの家をふたたび見つけることはできなかった。しばらく時が経ち、成長するにつれて、私は探すことをやめた。思い出として留めて置くほうがむしろよいのだ、これまでに食べた中でもっとも完璧なあの食事は。<br> <br> その後の人生へと私を導いた霊感は、まさにあの赤い台所で、あの信じられないような肉と一緒に焼き上げられたのである。<br> <br> <br> <br> <br> }}}}
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